好きという呪いと希望 響け! ユーフォニアム 12話『わたしのユーフォニアム』感想

「好きこそ物の上手なれ」という言葉がある。
好きなことに対しては自然と熱中して上達してモノになるというような意味であるが、個人的には好きな言葉で……呪いの言葉でもある。

『響け! ユーフォニアム』は小説を元に京都アニメーションでアニメ化された、吹奏楽部を舞台に青春を疾走する作品だ。以前、エンディングテーマのZAQさんの『トゥッティ!』をスカパンクとして色々書いたが、アニメ本編も非常に面白い。
今回の12話、雑に言えば、どんなに努力してもどうにもならないこともある……しかし、好きで続けることに意味も無意味もない、というお話になっている。
音大に行かないのに音楽を続けて意味あるの? という姉の言葉。音楽を続ける理由がなかったという葵の言葉。そして、滝の非情な選択。
この作品は、高坂麗奈という天性とも言うべき才能が描かれるが、それが何によって形成されているのかというのも描かれているように思う。それは、麗奈と出会った久美子の姿が象徴的だ。上手くなりたいという熱にうなされる彼女の足掻く姿は、過去の麗奈なのではないかと。なんとなく続けてきたトランペットが滝によってブーストされたのは想像に難くない。麗奈は久美子に過去の自分を見ているのかな、と思う。
もう一人、なんでもできる星人がいる。同じユーフォニアム担当の田中あすかだ。こちらはもっとわかりやすい。個人練習を邪魔されるのを凄く嫌う、というエピソードがあった……筈。あったよね……?w

フィクションでは時折、特に努力を必要としない生まれつきの天才が描かれたりするが、個人的にはアレは100%フィクションの産物だと思っている。音楽でも絵でも文章でも何でもいいけど、めちゃくちゃ上手い奴はめちゃくちゃ努力してる。基本的なスペックや向き不向きといったモノは確かにあるけど、どんな技術もたかがスペックや向き不向きくらいでどうにかなるほど甘いものじゃない。
死ぬほど考えて、死ぬほど汗かいて、それでも認められなくて、死ぬほど口惜しい思いして、好きなことを続ける意味まで考えて、死にたくなって、それでもやめずに努力した者だけが辿り着く。それを生まれもったモノだけでどうにかこうにかなってるなどと言うのは、個人的には凄く失礼なことだと思う。
しかし、認められることはまた別物ではある。努力が、あるいはその想いが……実を結ぶとは限らない。それはオーディションの夏紀や、麗奈と香織の再オーディションの時も共通している。自分の実力がどうこうより、より力が上な奴がいることはある意味どうしようもない。タイミングだってある。どうしても認められたいタイミングで、認められるとは限らない。
結果を出すことや、より上のステージに昇ることは大事だけど、好きなことを続ける指針はそれだけではない。だが、いくらそれがわかっていても、認めてもらえない辛さ自体はおそらく、ずーっと変わらずに存在する。
そういった意味で「好きこそ物の上手なれ」というのは、希望であり、呪いのようだと思うのだ。

そんなようなことを考えさせられた今回のユーフォニアムのお話。凄く心を揺さぶられて、途中嗚咽を漏らしながら見た。それを導いたのはやはり久美子だ。
彼女の、怒りににも似た口惜しさの表現はたまらないものがあった。汗をかき、鼻血を垂らし(めちゃ可愛かった)、また必死になって汗をかき、それでも届かない。口惜しさのあまりに走り出してしまうシーンは圧巻だった。絵としての面白さと共に、彼女の焦燥感をまざまざと感じさせるシーンで、その後の場面はもう冷静には見ていられない。見てるこっちまでもが涙でグチャグチャになる。そして、それでもユーフォが好きだと胸を張る彼女の強さに、また涙してしまう。
おそらく、今回の話を経て久美子は麗奈と同じスタートラインに立った。そんな久美子が、あるいは久美子と麗奈の活躍が、ここから見られるんだなうひょひょひょひょーと思いかけたが……あと1話しかないじゃないか。おいおい、2期決定のお知らせ早くしてもいいのよ。

あと、このアニメの最強の百合っぷるは、夏紀と優子なんじゃないかと考え始めている……。